2007年03月10日

【「親子関係に法則なんてない」★】

こんにちは☆

さつきです。


統合失調症と言う(心の病気)治療と
向き合いながら『成功法則』を学び、
目標達成に向けがんばっています!

〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜

★目標:自分の経験したこと学んだ知識などから
     『心の病気』の方の力になれるような
     本を出します!

★目標:『心や体に傷を負った方や、
    ニートといわれる人たちが、
    一般の方と一緒に集えるコミニティー』
    を設立します!

〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜

2007年になりました!
昨年末に予定しておりました
『心の病気についての対談CD化』
に向けて進めていっています。
エキセントリックデザイン社長さんであられる
岡野弘文さんに手助けして頂ながら、
今現在も作成に向け準備中です。
がんばっていきますので、
今後も応援よろしくお願いします☆(^^;

岡野Blogは、こちらからです。
    ↓
http://ameblo.jp/okanohirofumi/entry-10016391645.html




※1週間を振り返ってです。

「時とともに、人は変わっていく」

だけど、そのことに気づけていなかったのは
実は自分自身ではないか?
思う1週間でした。

■子どものころに植えつけられた
セルフイメージが
「それで正しい」と思い込むこと
で起こる。
思い込み、それはスキーマーとも言う。
スキーマーとは
徐々に身につけていくもので
例えば四本足のついた
四角い木でできたものを
見たならそれは机だ
と認知できるものです。
それが鉄製だろうが他の
材料でできていようが
「机」と認識できます。

■赤ちゃんはこのスキーマーを
積み重ねていって大人に
なるのではないかな?
思います。

■これは、ジェームス・スキナーさんが
あるセミナーCDの中で言ったことですが、
赤ちゃんが二階のベッドから
落ちたました。
最初に見たものを
確認、それが原因だと思いこみます。
最初に落ちたとき、
赤い絨毯(じゅうたん)だったら
まず赤が目に入るので
「赤い絨毯、恐怖症になります」
次に落ちたとき青い絨毯だったら
「青い絨毯、恐怖症になります」
運が良ければ赤ん坊は
3回落ちます。
そこで床に落ちたとき
そこで初めて、原因は
「落ちたことだったんだ」
と理解するのです。

■このように学習した分の
学びしかないということがわかります。
ということは、
すべてにおいて、途中段階である
ということが言えると思うのです。
「完成した」ということがないなら
全ては途中段階です。
なにかを結果出して
成功したとして
それも、過ぎ行く過程の途中段階、
人は学ぶ生き物だからです。

■上の例で言いましょう。
赤ちゃんが2回目までの学びで
止めておいたら、永遠に
赤ちゃんは「絨毯恐怖症」
のままでしょう。
しかし、こういうことは
誰にでも起こりうることと思います。
途中段階でありながら
「完全なる成功」を目指すほうが
変ですね。

■親子関係で言ってみましょう。
「最後のとき」までその関係は
つづきますね。
その過程で、時と場合が変われば
現在の状況も変わってくると
いうことですね。
私が今回経験したことで
感じたことを書きますと、
【親子関係に法則はない】
ということです。

■他の家族と比較して
自分の家族相互関係を
見ることができたとしても
全部が全部当てはまらないと
いうことを思いました。
それはそうで、人それぞれ
状況や、環境や立場は
違ってくるのですから。

■やらないことには気づかない
ことですが、
やれば何かには気づきます。
私が気づいたことは
【子どもの頃とは状況が変わっている】
ということでした。

「これは、数日前に病院の先生にも
診察のときに言われたことでした」

「昔と今とでは状況は変わっている
のですから、昔できなかったことでも
今やれば、親も今の状態でなにかを
受け止めることはできますよ」

■母が「一人で反省している姿を見ました」
(独り言で反省していたのです)
今まで認知できなかったことでも
色々なスキーマーを重ねて
母も母なりの解釈で、
私を理解しようとしてくれている
ということが伝わりました。

「正直、ケンカもしたし辛かった」

■でも、「自分は自分だ!」
と思わず叫んでいたけど、
そい言っている自分に驚きもしました。
これは、自分自身が
自覚できなかったことであり、
思わず知らず、母にぶつけることに
よって、
【自分が自分であるということの】
確認をしたかったのだと思います。

「そのときは、母がウツだということも
どこかへ飛んでいってしまっていました」

「母にぶつかることは私にとっての
おもいっきりの【甘え】でした」

■ケンカしても母が怒っても
あとで、思えた感情は
自分が子どもであると思えると
楽になれる感覚がありました。
私にはそれがうれしかった。

【親がいるうちにしてあげられるのは
親に自分が子どもの親であると
思うことの喜びだと感じました。】

「子どもの頃にそれができなかった
のなら今からそれをしようと思いました」




<小さなころ、田んぼに、おたまじゃくしが

 いるのを見つけては観察していた>



<おたまじゃくしに足がついてきて

 成長ということを学んだかもしれない>



<どうしてか、緑の蛙になるんだね。

 蛙の子は蛙?>


posted by さつき at 12:58
Comment(4) | TrackBack(0) | 1週間を振り返って
この記事へのコメント
こんにちは
親子・・・色々な親子がいますよね。
でもこれは最後の時を迎えるまで
ず〜と続く関係。
いつまでたっても親は親・・子どもは子ども
親に対する気持ち・・・
子に対する気持ち・・・
違ったものがあるから・・・不思議ですね。
Posted by satsuki at 2007年03月10日 16:28
こんばんは。
そうそう。人と同じ親子なんて
いないと思います。

色々な親子の形があっていいと思うけれど、最近、関係が薄い人たちが多いのでは?
と思います。
Posted by チョコひと at 2007年03月10日 18:46
親と子。
愛情があるから よその家庭とは違ってくるのじゃないかな?
よそと同じなら、模範家庭。
でも親は自分の子がかわいいし大事。
模範がどうであれ、自分なりの愛情表現をする・・・
それが回りから見てどうあろうと、子供が受け止めてくれればって思うかも・・・
Posted by とら。主 at 2007年03月11日 16:49
こんにちは☆

★satukiさん
★チョコひとさん
★とら。主さん

「良いご意見ありがとうございました!」
またこれからも、よろしくお願いいたします!

さつき(^^;
Posted by satukiさんへ・チョコひとさんへ・とら。主さんへ:さつき at 2007年03月12日 22:40
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