2013年06月22日

二宮金次郎の、決意と行動の裏に涙あり。

こんにちは☆

統合失調症の、一主婦です。
この病気は全国どこでも、100人〜130人に
一人の割合で、発症している心の病です。

6月11日のブログに書いた、
今のわたしのおもいをここにあげておきます。
「ふつうに生きること」
そして「母のように生きること」。
「母のように、自分のまんま生きること」
母が聞いたら驚くこと。
母は、わたしがずっと母を避けていたこと
感じていたとおもうから。。
幸せに生きてゆきます。

【二宮金次郎の、決意と行動の裏に涙あり。】

「濡れ手で粟(ぬれてであわ)」

という言葉がありますが、

努力しないで、なにかをつかむことは
まず無いと言えます。

成功者になった人とて、
日頃からする小さな努力をおこたりません。

例えば、日頃からの挨拶、明るい笑顔、わーい(嬉しい顔)
御礼状、整理整頓、ゴミ拾い、など・・。

日常、わたしたちが普通にしていることです。
それを、わたしたちの何倍も多くやっているから
成功者になれたのです。

小学校などの、銅像に立っている(我が母校はそうでした)
二宮金次郎の話を『思いやりのこころ』という本で
読んで、涙しました。

当時、桜町領(現在の栃木県の領地)
が、農地が荒れ放題、年貢の取り立てが厳しく
農民離れが起きていました。

百姓であり、神奈川に住んでいた金次郎が、
その、現在の栃木県にある
「桜町領(さくらまちりょう)」の
財政立て直しを命じられたのです。

桜町領の復興は、単なる財政再建ではなく、
農民の生活を救うことを意味していた。
これまでも多くの人材が派遣されたが、
すべて失敗に終わっていた。

小田原藩主(おだわらはんしゅ)・
大久保忠真(おおくぼただざね)に見出され
その土地に、家族ともども居住を移します。

二宮金次郎を支える妻も、けなげで、
愛に富んだ態度で金次郎を支えつづけます。

金次郎の決意がそうさせたのでした。

奥さんに、「こんなことは嫁に言ってもわからんだろう」
とは、金次郎は考えませんでした。
金次郎も考えましたが、奥さんに、今の気持ちと決意を
打ち明けるのです。
伝えるべきことを、ちゃんと伝えたのです。

すると、奥さんは「あなたがそのようなお気持ちでしたら
私は、あなたについてまいります。どんな苦労をもいとわない
覚悟でございます。」と言います。

やがて、大飢饉がおとずれます。

そのときも、改革の指揮をとったのが
金次郎でした。

また、金次郎が、

農民の心がわかったのは、なぜか?

それは金次郎自身が、百姓であり、
鍬を手に、汗水たらして、働いた
ことがあったからです。
そして、着任後も、役所から
支持をするのではなく、
常に現場にあって、農民と苦労を
ともにしたからです。
農民の苦悩もすべて知っていたからです。

当時の武士たちは、誰ひとりとして
この財政再建に成功する者はいませんでした。

農民が飢饉(ききん)に陥っているというのに、
自分たちは、おいしいご飯を食べているのです。

そんな者に、この財政再建はできん!!
と、踏んだ、金次郎は、厳に厳しく
武士たちをいさめます。

「おのおのがた、これより、断食をしてくだされ!」
「さすれば、今、飢饉で苦しんでいる農民の気持ちも
わかるというものでしょう」

武士たちは、この厳(言)には、頭を下げるより
他はありませんでした。

そして、「一貫した態度で、村人たちに
訴えづづける」
これは、ひいておしても、なかなか
できることではありません。

そして、自分さえよければの
我利我利(がりがりの心)を捨て、
一致協力し、目標に向かう団結が生まれ、
不可能と思われていた事業を成し遂げる
ことができました。

自利利他(じりりた)の精神で
生きたからできたことです。

『荒地よりも、人の心を耕すことの難しさ』
を、この金次郎は教えてくれます。

人の心がそう簡単に変わるものではありません。

わたし自身を見てもそうです。

このように、改革を起こすほどの行動をした
金次郎でさえ、最初は小さな一歩からだったでしょう。

ほんとうに、小さな、小さな、まず一歩から、
それより他ないのです。





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