2013年09月18日

宝石のような言葉はこの胸に

こんにちは☆

統合失調症の、一主婦です。
この病気は全国どこでも、100人〜130人に
一人の割合で、発症している心の病です。

6月11日のブログに書いた、
今のわたしのおもいをここにあげておきます。
「ふつうに生きること」
そして「母のように生きること」。
「母のように、自分のまんま生きること」
母が聞いたら驚くこと。
母は、わたしがずっと母を避けていたこと
感じていたとおもうから。。
幸せに生きてゆきます。

【宝石のような言葉はこの胸に】

孤独の力.JPG

数年ぶりに、齋藤孝さんの『孤独の力』という
著書を、図書館で、相互貸借(そうごたいしゃく)と
いう方法で借りていただき、夜中に読んでみた。本

思いが込みあがってきて、筆を取る、ペン
ではないが、パソコンに向かっている。

私という人間は、幼いころは、泣きべその
しょ〜たれ(弱虫、泣き虫)と言われた子どもでした。
できんぼすの、いくじなしでした。たらーっ(汗)

一人では何一つできない人でした。

周りからは役立たずと思われていたと思います。
そればかりか、迷惑のかけどおしのこの
45年間でした。

しかし、怒涛のごとく変化していったのが
ここ最近です。
それは一朝一夕に変わったものではなく、
わたし自身が、日に日に、例え、亀の歩みのごとくでも、
なめくじのそれとしても、一日一日を見逃すことなく、
積み上げてきた結果でした。

しかし、今やっていること、自分が試してこうなったよ
と誰かに伝えても、何を言っても
周りの人は試す人は一人もいませんでした。

健康で明るくなった私の姿を見てでさえです。

それで、私はわかりました。

他人とはそういうものなんだなと。

そういう周りの反応を見てようやくわかりました。

「自分は自分」「人は人」

10年来親しくしてくださっていて
いろいろ手助けもしてくださり
見守り続けてくださっている方がいますが、
その方にも実は言われていました。

「結果を出しなさい」と。
そして結果が出るまで誰にもそのことを言うなと
言われました。
自分がこれだけやったなど言うなと。

途中経過で、人に何を言っても無駄です。と。

その意味がようやくわかりました。

私は、どん底のバカです。
自分でそうわかっているから、いいんです。

私の中の考えは、例え私が結果を出しても
もうそのころには、今付き合っている人と
付き合うこともできなくなるかも?

例えば、私一人健康に前向きになったとしても
周りの人がみんな後ろ向きでは、
私は目指すことがあっても、
周りはどうなんだろう?と。

それが怖かったから、周りにも言ってきました。

でも、やはり自分の生き方を変えようとか
ましてや行動に移す人はいませんでした。

友達にも聞いたことがありますが、
同じ病気で、がんばってピアニストになった人?
がいた。その人のビデオを見たときに
「どう感じた?」と聞くと、
「ああ、そうなんだ〜。」
「そんなことがあったんだ」て。

私は「そう」と言いましたが、
こういう物の見方では何も変わらないな
と思いました。

自分のことに置き換えて考えなければ
何も人からは学べません。

それを見て感動して、
そして自分ならどうするだろう?
と考えなければ何も変化は起こりません。

これでは仕方がないな、と思いました。

この齋藤孝さんの、『孤独の力』では
人とつるむというネガティブな行動を止めよ!
と書かれています。
人と行動を共にするのがなぜネガティブなのか?
みなさん思われるでしょうが、
私のこの本を読んで感じるところは
主体性が無くなるからだと思います。

人とつるんでいる間と言うのは
受動的であって、受け身になるからだと、
人は一人になって一人として行動をして、
初めて能動的になると、私自身感じます。
誰かが何かをしてくれるのを待っていたのでは
いつまでたっても能動的、行動的には動けません。
そういう人は本当の喜びも感じることはできません。

人と同じものを見て(たとえばテレビ)、
流れてくるものを見て、
同じように感じて、それでよしとしているのです。
すべて受け身だからです。

今のゲームなんかもそうです。

周りから受ける刺激だけで興奮していたのでは
錯覚が起こるばかりで、自分で行動できない
人間になってしまいます。

自分で選んだ本を読み、
自分の足でその場に赴く
そして、誰かのためになることを
自らの手で行う。

そうして初めて能動的な人生を送れます。

そうして初めて自分でつかんだ感覚があり、
はじめて喜びを感じるのです。

受け身では、ほんとうの感動、喜びは
けっして得ることはないでしょう。

厳しいことを言いました。

私は、もともとはこういうきつい人です。

だからブログを読んでいる皆さんにも
知っていただきたくて書いています。

こんかい愛媛の実家に帰省しましたが
主人が「言い過ぎじゃないか?」と
言いだすくらい、ビシビシ、親に言って帰ってきました。

はっきり言います。

私はきついです。

きつい人間です。

だけど愛が無いわけじゃない。

むしろ愛があるから、きついことも言えるのです。

そこは誤解しないでほしいと思います。

愛の無い人に厳しいことなど言えません。

私はこの10年来お付き合いして頂いた
方に、ほんとうにビシビシと言われてきました。
はっきり言って、その方はご夫婦なのですが、
夫婦ともに、ビシビシ言われてきました。

それが本当の愛だと自分が感じるようになるまでには
そうとうの年月が必要でした。

しかし、私は生半可な中途半端な育て方では
愛はとうてい感じられなかったでしょう。

その意味で本当に、そのご夫婦に感謝しています。

これを読まれているかどうかわかりませんが、
お二人ともお忙しい方なので、
そのご夫婦を含め、今まで、私を見守り
育んできてくださった数々の方々に
大変感謝しております。

このご恩は、必ずや自らの結果を持って
ご恩返しにしたいと考えております。

こんな言葉があります。

「ご恩に生きる人はご恩に生かされる」と。

数々の言葉とともに、宝石のような
素晴らしい言葉の数々は
私のこの胸に、しっかりと刻まれて
離れることはありません。

ほんとうに、ありがとう。

ありがとうございます。



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