2014年08月07日

偽りの罪に敏感な人は本当の罪に鈍感

『行動してみることで人生は開ける』
加藤諦三 著

私のバイブル的本です。本

あまりに読み込み、表紙を無くして
しまいましたが・・。

バイブル.JPG

この中で、親や他人が彼らに
(たとえば自分に)、都合のよい
存在であってくれという期待をかけるとき、
その期待にそむくことはけっして
罪ではあるまい。
それこそが自立することである。
それこそがひとり立ちすると
いうことである。

とありました。

親が自分に充分に、お金があるのに
人に借金までして、生活苦にあえいでいる
息子に、30万円の金を要求する。

そんなことが現実にあるらしい。

だが、しかし、ここで問題なのは
そのお金を借金してまで本当に
用立てようとする息子にもある。

妻子があるにもかかわらず。

自分には妻子を養うことのほうが
夫として大事なことなのに、
それを放棄してまで父親の
言うことを聞く息子。

これは完全に父親に取り込まれている。

そして、本当の罪に鈍感なのである。

偽りの罪に敏感な人は本当の罪には
鈍感なのだ。

本当の罪は、妻子を放り出すことのほうだ。

なのに、偽りの罪に敏感な息子は
父親の言うことを聞いた。

そこまでして、父親に良い子でいたいのだ。

それは親を裏切ることが怖いらしい。
親の期待にそえないことを
親への裏切りと子供は感じるのである。
したがって親の期待にそえないと
罪の意識を持つ。

言い換えれば、むしろそんな期待は
そむく必要があると思う。

でなければ、いつまでも、親に取り込まれた
ままで、自立などできない。

おそらくは反抗期も経験することなく
親のいいなりになって、育ってきた
経緯があるのだろう。

親もそれが子供の有り方だと
思っているのか。

最も子供らしい姿だとでも
思っているのか。

自分の都合のいいように
子供をつかっているだけではないか。

我が家は、お金のことに関しては
こと、親には助けてもらったし、
今でも感謝している。

親の心中は計りしれないが、
自分自身は、いつからか
親を愛している、本当は
愛していたのではないだろうか?
と感じ始めた。

幼いころも、親を恨みながらも
どこかで助けたいという思いがあった。

自分の無力さにも何度も落胆したし。

それは子どもの私より
親のほうが、ずっとずっと何倍も
生活力も力もあって当然なのだが。

今突破口を見つけだそうとしている
最中に自分のことを見ています。

1か月ほど前の自分とも
ずいぶん変ってきたし、
何よりも嫌だと思っていた
悪い想念が、ほとんど気にならない
くらい浮かばなくなった。

というか、それを浮かべている
時間や暇を感じないまでになった。

怒りも、かなりコントロールできている。

少し前までは、些細なことで
苛立っていたのが嘘のようになくなった。

程よいところで、正当な怒りが
出せるようにもなってきた。

今、モチベーションアップのCD
『DYNAMITE MOTIVATION3』を
実家に置いてきてしまった物を
送ってもらっているところだ。

着いたらさっそく聴こう。

楽しみだ。
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